第1462回例会

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会長  伊達雅英
副会長 柴田典子
幹事  山本浩一
SAA  山内謙一

日程 2025.9.3
 12:15~12:35 食事
 12:40~13:30 例会       
 13:00~13:30 卓話

ゲストビジター

なし

四つのテスト唱和

職業奉仕委員会   福井委員長 

会長時間

 皆様こんにちは、9月になってもまだまだ暑い日が続きますね。
 私は、愛犬のぶん太と朝5時に起きてご飯を食べさせてから6時前に散歩に出かけます。美術館周辺をグル~と“回ってあせをたっぷりかいてきます。
 おかげさまで体重も3キロ減になりました(*^^)v
 今日の「会長時間」は日本海新聞を読んでいたら気になる記事がありましたのでご紹介させていただきます。
題名は『司葉子』とその時代~妻と女優を生きた人~
 1992年に上梓*した自伝で、司葉子本人はメイ牛山との出会いをこう綴っている。《メイ先生に「ぜひうちの美容室にいらっしゃい」と言われて、まだ知らなかったメークを教えてもらうようになってから今に至る三十数年、ハリウッド美容院とは長いお付き合いです》(『花優しく女優・母・代議士の妻として』)程なくして、メイ牛山は頻繁の顔を合わせるようになった司葉子に「今度、雑誌のモデルになってくれない?」と依頼している。開局間もないNHKのテレビ番組収録さえ喜んで現れた19歳の短大生が、快諾したことは想像がつく。永田町の国会図書館にはその雑誌『婦人生活』(1954年6月号)のバックナンバーが残っている。「爽やかな初夏のヘアースタイル」というタイトル、4にんの女性モデルの顔写真が載っており、彼女たちの髪形をしつらえたのが、山野愛子、マヤ片岡、モトハシマサコ、メイ牛山という当代の著名な4人の美容家となる(今でいう“トップスタイリスト)そこで、庄司葉子の髪形を担当したのがメイ牛山だった。おそらく、これが司葉子にまつわる一次資料において、現存するもっとも古い記事と思われる。特筆すべきは、掲載された4人のモデルは、2人が映画会社に所属する女優、1人はモデル事務所に所属するプロのモデルで、庄司葉子だけが素人だった。余談になるが、2人の女優のうち一人が、のちに日活に引き抜かれ、看板女優となった北原三枝(現・石原まきこ)である。後年、石原裕次郎と結婚し、女優の第一線から退いた彼女も、1954年初夏の時点では、松竹を専属とする無名の大部屋女優だった。にしても、庄司葉子の美しさはずぬけている。原石の輝きとはよく言うが、女優やモデルと並んでもまったく遜色がない。こうした雑誌の仕事が、回想にもあるように一度で終わらず、複数回にわたったとすれば、多くの関係者の目に留まらなかったはずがなく、事実、短大生の周辺は急に慌ただしくなる。彼女に面会を求める人が、神保町の共立学園の校門や、市川市の下宿の玄関前に頻繁に姿を見せるようになったのだ。
 以上、鳥取県境港市出身で倉吉にもご縁の深い司葉子さんのお話をさせていただきました。
 今日の例会も、会員同士が語り合い、学び合うことで、より強い絆を感じられる場となれば幸いです。引き続き、皆さまのご協力をお願い申し上げまして、本日の会長時間といたします。
*上梓:印刷物を発行する行為。販売または配布のための印刷物を発行するビジネス

1934年生まれ、鳥取県出身。54年、大阪の新日本放送(現MBS)に入社し、社長秘書を務める。美容家・メイ牛山から雑誌モデルとしてスカウトされ、東宝と契約。映画『君死に給うことなかれ』でデビューを果たす。清純で正統派な美人ヒロインとして、映画界に新風を吹き込んだ。映画『紀ノ川』(原作:有吉佐和子)では、ブルーリボン賞主演女優賞など各賞を受賞。NHKでも、72年の水曜ドラマ『氷壁』などに出演した。夫は元衆議院議員・相澤英之。
写真:https://www.toho-ent.co.jp/actor_list/

委員会報告等

親睦委員会種子委員長 9月会員誕生日他 
穐近会員  焼き鳥フェス2025のご案内と寄付のお願い
竹歳会員  「遥かな町」ご案内と寄付のお願い

卓話

会員の時間  山本浩一会員「フリートーク」

例会の様子